古典初心者の社会人が働きながら100冊選書に挑んでいます。四冊目。
仕事ができる人ほど、自分は仕事ができないと思っている。
最近唱え始めた説です。
というのも、少し前に私の営業所に二年目の後輩が配属されました。
彼は、とても見栄っ張りなのです。
業務の進め方をちゃんと理解しているか尋ねても、基本的に「大丈夫です、分かります」で、結局間違えたり、できてなかったりする。
雑談をしていても基本的に自分の知識を話すだけで、共感とか謙遜とかはゼロ。マウントを取っていくスタイル。
そして、自分はもう新人ではない、というスタンスで取引先とも話すので、「彼、ほんとに新人じゃないの?」と取引先から私はしばしば聞かれる。
この前!彼のミスの尻拭いのために私がわざわざ休日出勤したのだけど、
全て終わった後に一言だけ「ありがとうございました」と言われてそれで終わりでしたけど!一度言われたからましなのか?
まあ、私は直接的に彼と仕事する機会は多くないので、いろいろ諦めて。でも、そんな仕事の仕方は間違いなく損だと思うんです。
事務でリーダーをしている先輩が言っていた「私なんてまだ配属一年目くらいの認識やな」
普通にベテランの先輩なので違うだろと思ったけど
この前取引先のベテラン社員さんも「自分は何にも分からないですよ」と言っていて、それもさすがに嘘つき!と思った。
だから、仕事ができる人ほど、まあ謙虚です。
これがソクラテスの言う「無知の知」なのです。
・・・たぶん。
『ソクラテスの弁明』私が読むには難しかった。
ではあるけども、仕事をしていて思うこともあるので、ご紹介していきたいと思います。
著者とあらすじ
▼著者
プラトン
古代ギリシャを代表する哲学者。アテネの名門の家系に生まれる。師ソクラテスとの出会いとその刑死をきっかけに哲学の道に入り、40歳ころには学園「アカデメイア」を創設して、晩年まで研究・教育活動に従事した。ソクラテスを主人公とする「対話篇」作品を生涯にわたって書き続け、その数は30編を超える。主な作品として、本書をはじめ、『ソクラテスの弁明』、『メノン』、『パイドン』、『饗宴』、『国家』、『テアイテトス』、『法律』などがある。その壮大な体系的哲学は、後世の哲学者たちに多大な影響を及ぼした。
▼訳者
納富信留
1965年生まれ。東京大学大学院教授。英国ケンブリッジ大学古典学部にてPh.D取得。西洋古代哲学・西洋古典学専攻。国際プラトン学会前会長。著書に『ソフィストと哲学者の間』『ソフィストとは誰か?』 『プラトン 哲学者とは何か』『哲学者の誕生』『プラトン 理想国の現在』等、訳書に『ソクラテスの弁明』がある。
▼あらすじ
ソクラテスの裁判とは何だったのか、ソクラテスの生と死は何だったのか。その真実を、プラトンは「哲学」として後世に伝える。私たち一人ひとりに、自分のあり方、生き方を問うているのである。
ソクラテスの生と死は、今でも強烈な個性をもって私たちに迫ってくる。しかし、彼は特別な人間ではない。ただ、真に人間であった。彼が示したのは、「知を愛し求める」あり方、つまり哲学者(フィロソフォス)であることが、人間として生きることだ、ということであった。私たち一人ひとりも、そんなソクラテスの言葉を聞きながら――プラトンが書き記した言葉を読みながら――人間として生きることを、学んでいくのであろう。1
あの有名な言葉の原点
「私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年32頁
ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」
プラトンの『ソクラテスの弁明』は読んでいて正直半分も理解したとは思えないけれど、ここが有名な「無知の知」であることはさすがに分かった。
でもソクラテスは思ったよりもぼんやりとしか言及してない。ここ大事なとこじゃないの?
それに「無知の知」という言葉が出てくると思っていた。
ソクラテスは弁明の中で、あくまで「知らないということを知らないと思っている」というようなはっきりしない言い回しをしています。
「無知の知」という考え方は非常に有名ですが、でもよく考えると、知らないと知っている人の方が、賢いというのは不思議な気もします。知っている方が賢いに決まっています。
知っている方が賢いというのなら、「無知」も一つの知識として、これを知っていることは、人よりも多くものを知っていることになります。
それに、この世のことをすべて知ることは不可能であるという前提に立って、知らないことがないと思っている人には、必ずまだ知らないことが存在する。
だから、そのこと(無知)を知っている自分の方が賢いのだと、ソクラテスはそう言っています。
そこの二年目の後輩へ
会社に置き換えれば、社内の業務を全て網羅して知っている人なんていないんです。
ましてや入社して二年目の社員に分かることなんてたかが知れている。
専門的な知識でも、社内の業務でも、自分はまだまだ知らないことがたくさんあるということを知っておけば、新たに知識を得ようという気持ちになる。
だけど、「もう知っている」というような振る舞いをしていては、結果的に自分の可能性を閉ざすことになる。
周りも、そんな風にされたら、それ以上誰も教えてあげようとはならないし、間違っていても指摘しづらい。だって彼には分っているんでしょう?と。
関係ないけど、彼がどうなろうと関係ないんだけど、せめて自分はそうならないようにしようとだけは思う。
もしこれから新社会人になる人がいたら、覚えておいて損はないと思う。
新人が何にもわかっていないということなんて皆知っているんだから、新人のうちに、いかに何も知らないふりをするかで今後が全く変わってくる。
できるだけ多くの人に多くのことを教わらないと、いつの間にか後輩が続々と発生してくる。
そうしたら、余計に分からないふりなんてできなくなるよ。
だから、新人の皆さん。
今のうちに無知を自覚してください。
分かるふりをしていても、あなたがちゃんと理解してないことくらい先輩にはすぐバレますから。
プラトン『ソクラテスの弁明』
最近その後輩のせいでイライラしていて前置きが長くなりましたが、プラトン『ソクラテスの弁明』を読みました。
古典100冊シリーズの4冊目です。
すでにペースがかなり落ちています・・・
次回は読みやすい小説かビジネス書を読もうかと思ってます。100冊チャレンジはちょっと休憩で。
プラトン『ソクラテスの弁明』は、語りの即興性と臨場感を生きいきと示す、古典ギリシア語散文を代表する文章であり、他方で、綿密に構成された議論となっている。言うまでもなく、これはプラトンが推敲を重ねた作品であるが、このような言論を語るソクラテスは間違いなく「手強い弁論家」と見做されたことであろう。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年112頁
ソクラテスが裁判にかけられるのですが、その正確な記録というわけではなく、あくまで弟子のプラトンが推敲を重ねた作品です。
つまり歴史書ではありません。
私が語っていることが正しいかどうか、そのことだけを検討し、そこに注意を向けてください。これこそが裁判員、つまり正義の裁き手の徳であり、弁論する者の徳は、真実を語ることなのですから。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年18頁
ソクラテスは自分を告発したものや裁判員の前で真実を語る。
つまり、多くの聴衆が「無知」であること、自分は自分のことを「無知」であると思っている分だけ、その他大勢の人々よりも知恵があるということ。
しかし、まさにその法廷で再び、より本格的な仕方でこの「真実」を明らかにし、私たち人間がみな「無知」の内にいることを指摘するソクラテスの言論に、聴衆は一層の憎悪をかき立てられていく。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年132頁
裁かれる身でそんなことを言っていたら、見栄を張りたがりの聴衆はイライラして当然だろう。
まずそもそもさっきの私の後輩のように、プライドが高く、自分は賢いとアピールしてないといられないような承認欲求の強い人間に、
あなたは何もわかってない、ということをいくら説明したってほとんど理解してもらえないどころか、逆ギレされて終わりなのは目に見えている。
だからもう誰も私の後輩くんに指摘できないし、ほったらかしになっている。そんなに言うならもう勝手にしてよ、と。
自分の「無知」は認めるのが難しい。
だけど「無知」を認めたところで、あなた自身が劣っていることにはならないのは、ソクラテスが言っている通り。
不思議だけど「無知」だと思っている人の方が「知者」なのであるから。
それを理解できない聴衆は当然ソクラテスに腹を立てるんだけど、それにしたってソクラテスももうちょっと言葉を選ぼうよ。細木数子じゃないんだから。
では、言いましょう。私を死刑にした人々よ、あなた方は私の死刑の後すぐに仕返しを受けることになるでしょう。ゼウスの神にかけて、私を死刑にしたことよりももっとずっと厳しい仕返しです。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年98頁
死をなぜ恐れるか
と言いますのは、死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのにあると思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年60頁
私がソクラテスの話の中で最も気に入った一節である。
ここにもソクラテスの「無知」の考えが反映されている。
確かに私たちは「知らない」ことなのに感情に従って恐れたり嫌ったりしていることが多くある。
「死を恐れること」がつまり「知恵がないのにあると思い込むこと」というロジックは確かにその通りで、死がなにかも分からないのに、知ったかぶりをして、死を恐れることは確かに不思議だ。
私たちは、「よくわからないもの」に恐怖を感じる。
今ちょうどダンガンロンパにハマっているからそれで例を出すと
「みんなが輝く為にボクを踏み台にして欲しいんだ。いい具合にボクを殺して欲しいんだよ・・・」
スーパーダンガンロンパ2より
このように意味の分からない言動を繰り返す人がいたらシンプルに怖い。
でも、ソクラテスに言わせれば、何にも知らないのになぜ怖がるんだ?ということだろう。
このキャラクターがこんなセリフを言うには理由があるはずだ。
人は分からないことに関しては最悪を想像するくせがある。
「死」が怖いものであると当たり前に思っていた。でも、そうであると誰も知らないはず。
むしろ地獄なのは今かもしれない、死とは解放なのかもしれない。
そんなことは分からない。だからこそなぜ執拗に怖がるのかと。
ソクラテス・・・強気!
ともかく、もしあなた方がもうしばらくの時間を辛抱して待っていたら、死は自然に生じたでしょうに。私の年齢は人生の道のりをはるか遠くまで来ており、死も間近だと皆さんもご覧になっているでしょう。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年95
最終的にソクラテスは裁判員の投票で死刑に決まる。
この時点でソクラテスは70歳のおじいちゃんで、それでも裁判員の多くは、彼をここで死刑にすべきと考えたということである。
この辺りの感覚は私には理解ができないけれど、そもそも人のことを論破してまわっただけで、いうなれば多くの人のプライドを傷つけたのだが、ソクラテスはそれで死刑になったということである。
よっぽどソクラテスが嫌われていたか、当時プライドというものがかなり重視されていたか、いずれにせよ現代ではありえない。
ソクラテスにとってもなかなかひどい展開だとは思うけど、この弁明の中でソクラテスは自分の告発者をこりもせず論破しているし、聴衆に厳しいことも平気で言う。
むしろ、このメレトスが今していること、つまり、人を死刑にしようとすることのほうが、より一層大きな害悪なのです。
プラトン『ソクラテスの弁明』光文社2012年65
さて今、アテナイの皆さん、私は自分のために弁明することから―そうしているとお思いでしょうが―そんなことからは程遠い状態にあり、むしろ皆さんのために、私に有罪投票することであなた方への神の贈り物に対して過ちを犯さないようにと、弁明しているのです。
嫌いな人に何を言われても、たとえそれが正論だったとしても、いや正論だったら余計に、聞き入れたくない。
だから、ソクラテスがした弁明は正直、死刑を求める裁判員をさらに勢いづけてしまったんじゃないかと思う。
おわりに
仕事でイライラしていたのもあって、関係ない話が長くなってしまったけれど、一応『ソクラテスの弁明』を読んだということで、次の本に向かいたいと思う。
ソクラテスって哲学の始祖のようなイメージだったけど、ソクラテスは本を残してないので、弟子のプラトンらが書いたものがすべてになる。
『ソクラテスの弁明』を読んで興味をもったら、プラトン対話篇へと続いていくようなんだけど、とてもそれらを読む余裕はなさそうです。
仕事の合間に古典100冊さえままならないんですけど、年間365冊の本を読んでいる三宅香帆さんはいったいどうなっているんでしょうか。
思っていたよりも『ソクラテスの弁明』をちゃんと理解できていない気がするので、さらに簡単にしてくれている解説書のようなものを再度読んでから、戻ってきてもいいかもしれません。
でも、前よりちょっとだけ賢くなったような気がします。
あと、このあやしげな表紙の絵は何?怖い。
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社会人のための古典読破チャレンジ|近藤康太郎『百冊で耕す』100冊リスト
誰に頼まれたわけでもないのに、古典を100冊読もうとしています。仕事をしながらだと思うようには進みませんので、ゆっくり進めて今がやっと4冊目です。近藤康太郎さんという朝日新聞記者の方の書く本が好きなので、この方の言う通りに100冊読んでみようと思ったのが始まりです。




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