『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』近藤康太郎|あらすじ・感想

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こってり

私はこの本の作者である近藤康太郎さんを朝日新聞の連載で知りました。

大学生の時に朝日新聞を購読していたのですが、アロハで百姓と猟師をしているという内容の近藤さんの記事を楽しみに読んでいました。

これが心を打つ文章というか、言葉に乗って熱が伝わってくるというか、

朝日新聞の中でも近藤さんの記事はいつも異彩を放っていて、ここだけ違う!という感じがしました。

私は近藤さんの書く、地に足のついた、それでいて大木のような一本筋の通っている文章。そして彼のユニークな思考と生き方が好きです。

命という深いものを実際に扱っているからこその視点を持っている、その点が他のライターさんにはない特徴だと思います。

私が会社に入社したてのころ、コロナで研修が中止になり外出を禁止され、家に缶詰めにされたことがありました。

外出もできないし、誰にも会えないし、コロナも怖いし、で不安だった時

その時に読んだのが近藤康太郎さんの『アロハで猟師、始めました』でした。

これを読み、私は「善く、生きる」ことを決意し、今に至ります。

私が今まで食してきた命、私を形作っている命に感謝し、彼らのためにも私は「善く、生きる」べきだと、そう思った。

そのことを忘れたことは多分ありませんが、近藤さんの本を読むのはそれから大分と時間が空いてしまいました。

今回読んだ『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』は、仕事論というところが気になったから手に取りました。

朝日新聞の記者でありながら、百姓であり猟師である作者の、仕事論。

つたない文章で恐縮ですが、あなたがこの本を読みたい!そう思えるように、紹介をしていきたいと思います。

こんな人におすすめ

基本的には働く人全員におすすめできますが、あえていうならば

  • 人生どう生きていいか迷っている人
  • 仕事で悩みが尽きない人
  • プライベートの時間を持て余している人
  • 何かに打ち込んだ経験がある人

へおすすめの一冊です!

著者とあらすじ

▼著者                                                 作家/評論家/百姓/猟師                                       1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。著書に『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。

▼あらすじ                                           一日の大半、人は〈仕事〉している。ゆえに毎日をハッピーにするには「好きな仕事の比重を増やすこと」と「好きでない仕事をおもしろくすること」だ。そのために必要な要素が、〈勉強〉と〈遊び〉である。〈仕事〉〈勉強〉〈遊び〉は連鎖し、補完し合う――作家で猟師、ベストセラー『三行で撃つ』の著者による人生講座

ご機嫌に生きる、ナイスに生きる

だから、「幸せ」という言葉を、少し変えましょう。「ご機嫌」はどうでしょうか。あるいは「ナイス」。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』2024年CCCメディアハウス5頁

あなたは何のために生きていますか?と聞かれて即答できる人はそう多くはないだろう。

むしろすぐに端的な答えが返ってくる方がおかしい。

私は幸せになるため、とか楽しく生きるためだと考えていたけど、近藤さんの言う、「ご機嫌に生きるため」というのが体感的に私の思いと近いように感じた。

近藤さんは人生の目的を幸せになることだと、そう述べたうえで、言い回しを「ご機嫌」「ナイス」と言い換えている。

毎日をご機嫌に生きる、というのは想像しただけでも楽しそうだ。

どうすればご機嫌な状態をつづけることができるのか、それについての回答がこの本に書かれている。

「仕事」「勉強」「遊び」この3要素があなたの人生をご機嫌でナイスなものにする。

この3つはつながっている。

遊びがいつしか勉強になり、勉強していると仕事に結びつく。

勉強も仕事も嫌いな人はこの3つがつながってくることが理解できないかもしれません。

遊びのためにつらい仕事を我慢している人とは、全く違う考え方かもしれません。

それでも、こんな働き方ができたら、勉強が仕事に活かせたら、遊びが仕事になったら、最高ではないか?

少しでもそう思う人は、読んで損はありません。

苦役が五もある人生

この思想の根底にあるのは、ワークとはライフを豊かにするため、カネを稼ぐために嫌々やる苦役という発想です。ワークが五でライフが五なら、まず文句ないですね、と。
そうでしょうか。わたしは、苦役が五もある人生なんて耐えられません。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』2024年CCCメディアハウス26頁

ワークライフバランスは、すでに定着して久しい言葉であるが、最近は批判的な文脈で使用されることも増えてきたように思う。

そもそもワークライフバランスなんて今の世の中の仕組み的に可能なのだろうか?

もし自分はプライベートを重視したいと思っても、できるのはせいぜい定時で帰る程度。

週3日勤務なんてパートでないとできないし、われわれ一般のサラリーマンには働く曜日も時間も自由に選べない。限界がある。

それに近藤さんの言う通り、ワークライフバランスとは、ワークがライフのためであることが前提となっている。

プライベートの充実のために働く、カネを稼ぐための苦役がワークである。

それを私たちは当たり前に受け入れていたが、確かに人生の半分を占めるワークが苦役であるのは私も嫌だ。

そういう意味で、営業を辞めた私は、仕事が「苦役」な状態からは抜け出している。

ただ、まだいけるとは思っている。

つまり、ワークをもっと楽しいものにしたいとは常々思っている。

〈仕事〉は本来、自発のはずなんです。自発的でない〈仕事〉は、すぐさま懲罰に変わる。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』2024年CCCメディアハウス173頁

仕事が苦役になってしまう原因はここだ。

自分の仕事が自発であるか、これは会社に勤めるサラリーマンとして求められることが少ないから、誰もやっていないが、おそらくやろうと思ったらできるはず。

本を読む、勉強をする

サービス業に勤めるほとんどの人にとって、勉強とは、本を読むことになる。
なんとなれば、サービス業というのはコミュニケートが武器だから。言葉によって人を、人の感情を、人の態度を、動かすことだから。「サービス」というのは、究極的には、言葉を鍛えることです。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』2024年CCCメディアハウス77頁

だからほとんどすべての職業人にとって「勉強」とは本を読むことになる。

人の感情を、態度を動かす、説得する、感動させるために言葉を鍛える。

学校でする勉強が嫌いな人は多い。

それは他人に強制されていたからだ。

有名な大学を出て大人になると、その後は勉強しない人も多い。

強制されなくなって、嫌なことをやる必要がなくなったからだ。

でも、だからこそ大人になってから勉強をしている人はそれだけで他人との差別化ができる。

同じように本を読んでいる人は少ない。

本を読むことは自分のためになっている、そう書く文章ばかり探してしまうのは、心の底では不安があるからだと思う。

私は本を読むけれど、自分のことを賢いとも、言葉をたくさん持っているとも思ったことはない。

むしろ最近は「やばい」「すごい」しか言わない語彙力のなさに悲しくなる。

たぶん、本をただ読み漁るだけでは変わらない。

この本を読んで、私は古典と言われる本たちに挑もうかと考えている。つまり、勉強である。

酒は飲まない、でも酩酊する。

酩酊している。正気を失っている。
自分のしていることは、たしかに意味がある。そう、信じ込む。たった一人で、思い込むんです。好きになるとは、孤独になることです。孤立を求めない。しかし、孤独を恐れない。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』2024年CCCメディアハウス170頁

何かに打ち込んでいるとき、周りが見えなくなる。

中学生~大学生くらいまではよくそんな状態になっていた。漫画を読み漁ったり、歴史が好きになったり、急に小説を読み始めたり。

でも大人になると、カネはあるが時間がないから「こんなことしててもいいのかな」という気持ちが何をしていても頭の中に浮かんでくる。

ブログを始めた時も思った。こんなことして無駄なんじゃないか。正直今も思っているし、最近は特に本を読む量も増えたから余計に、他にやるべきことがあるんじゃないかといつも思う。

だけど、自分が信じた道を進む。酩酊する。

そうすることでしか開けない道があるのだと思う。

そして、そうして進んだ道は決して無駄にはならない、とそう思うことにする。

おわりに

わたしは、本をたくさん書いているから、読者の方に「近藤さんの本、読みました」と言われることが、ちょくちょくあります。ありがたいです。でも、その後に続く言葉はたいてい「おもしろかった」「感動した」。以上。この二つです。(中略)でも、記憶に残りはしません。顔もシチュエーションも覚えていない。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』2024年CCCメディアハウス80頁

グサッとささった。

本を友人に紹介するときも、たいてい面白かったか感動した、泣いた、やばかった、そんな言葉しか出てこない。

本を好きで読んでいるのに、作家の書く文章によって言葉によって感動しているのに、自分は言葉が出てこない。

いつか、自分が好きな作家さんのサイン会とかに行きたいと思っている。(基本人見知りなのでサイン会などには今まで一度も行ったことがない)

その時にできれば自分の言葉でどう感動したか、何が好きだったのか、せめて伝えたい。

言葉で伝えることができるのは人間だけ。

その言葉を磨くために本を読みたい。

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