みなさんお疲れ様です。
本日は『二木先生」という本をご紹介します。
私はこの本が、性に関する重たい主題(小児性愛)を扱いながらエンターテインメントとしても成立させている点が好きです。
小児性愛というタブーを扱った小説には朝井リョウの『正欲』などがありますが、本書はそこまで重たく主題を扱うわけではなく、
あくまでエンターテイメントとして小説として面白く、そして考えさせられるものになっている点がすごく気に入っています。
『二木先生』は生き方の本です。
自分には人と違う点がある、と悩み、生きづらさを感じている人にはバイブルとなる一冊かも知れません。
著者とあらすじ
▼著者 1989年大阪府生まれ。大阪市立第二工芸高校卒。第9回ポプラ社小説新人賞を受賞した『ニキ』が202年9月に刊行され、デビュー作となる。また同書を改題して文庫化した『二木先生』が15万部を突破するベストセラーに。2024年6月刊『私を変えた真夜中の嘘』(スターツ出版文庫)に短編「ファン・アート」が収録されている。
▼あらすじ どうしたら普通に見えるんだろう。どうしたら普通に話せるんだろう――。いつもまわりから「変」と言われ続けてきた高校生の田井中は、自分を異星人のように感じていた。友だちが欲しいなんて贅沢なことは言わない。クラスのなかで普通に息さえできたなら。そのためならば、とむかしから好きでもない流行りの歌を覚え、「子供らしくない」と言われれば見よう見まねで「子供らしく」振舞ってもみた。でも、ダメだった。何をやっても浮き上がり、笑われてしまう。そんな田井中にとって唯一の希望は、担任の美術教師・二木の存在だった。生徒から好かれる人気教師の二木だったが、田井中はこの教師の重大な秘密を知っていたのだ。生きづらさに苦しむ田井中は二木に近づき、崖っぷちの「取引」を持ち掛ける――。社会から白眼視される「性質」をもった人間は、どう生きればよいのか。その倫理とは何か。現代の抜き差しならぬテーマと向き合いつつ予想外の結末へと突き抜けていく、驚愕のエンタテインメント。2019年ポプラ社小説新人賞受賞作。1
変わってるね、と言われて
「流行りの音楽を聴いて皆と同じになろうとしてみたり、自分の感性をひけらかしたり。自分を殺すか、むき出しで生きるか、その二択しかないなんて」
夏木志朋『二木先生』ポプラ文庫2022年195頁
主人公の田井中広一は、自分が周囲と馴染めない変わった子供であることをずっと気にしていた。
しかも自分は周りと同じようにやっているつもりなのに、なぜか変わっているね、と言われる。
原因も分からない。周りが普通にやっている子供らしいことができない。
周囲の当たり前が自分の当たり前と異なるという経験は、誰もがしたことがあるだろう。世間が思う「当たり前」と自分の思いがすべて一致する人なんていないんだろうから、そもそも「当たり前」の存在があやしい。
でも「当たり前」は確実に存在している。だからそこから大きく逸脱している人は、自分の思うままに行動していては「当たり前」との衝突を避けられない。
主人公の通う高校で彼の担任教師をしている二木は、美術教師で誰にでも好かれる、とっても標準的な感性をもったように見える先生だった。
だけど、実は彼は小児性愛者だった。
それを知った田井中は、二木先生にその事実を突きつけ取引を持ち掛けるのだけれど
二木先生もなかなかのくせものというか切れ者だから、駆け引きが面白い。
というかそれだけの秘密をかかえながら学校の教師として十分な働きをしてきた人だから人間としての経験値が違うんだろうなあと思った。
その個性は殺さずに隠して置いておく
ここにいる間、『普通』がどんなものかを観察して、新しい環境では地球人の皮を被ります。先生みたいに、本当の自分を持ったまま、普通のふりをしようって。(中略)別の場所に行けば案外、変な人間も珍しくないかもしれないって思うんです。だって、こんなところに二人もいたんだから」
夏木志朋『二木先生』ポプラ文庫2022年285頁
ある意味二木先生ってかわいそうだなあと思わなくもない。
小児性愛者に対する嫌悪感は分かる。実際手を出したら犯罪なわけだし
だけど、どうだろう、彼らは子供に性欲を抱きたいと思って抱いている人なのだろうか?自分で選んだわけじゃなくて周りと違うことに後から気づいた、という人が多いのではないのだろうか?このあたり私は詳しくないけれど
本書で語られる二木先生の過去は、異常者のそれというよりは、私達と同じような普通の人間が、小児性愛者であることに悩み苦しんだ過去であると感じた。
私達の多くは生まれついたころから、自分で選択することなく、たまたま異性もしくは同姓が好きだっただけで、それ自体は「個性」と言っても間違っていないものなのだと思う。
だた、社会的にその「個性」がよしとされない場合に
私たちはそれを隠して生きていくしかないのである。
だけどこの本では、「隠すしかない個性」を殺して生きるのは違う、と伝える。
もちろん「隠すしかない個性」をむき出しで生きることとも違う。
Aの皮を被るB
として、自分の中にしまったまま生きていく方法もあるのだと二木先生は言う。
そして、田井中はそんな二木先生の生き方をまねしたかった。二木先生みたいになりたかったのである。
ずっといがみ合っていた田井中と二木先生。
彼らの根っこは同じで、二木先生のような生き方を知った田井中はもう大丈夫だと思えたラストだったよかった。
二木先生という生き方
二木先生ほどじゃなくても、誰もが人には言えないような隠しておきたいことや、人に言うと嫌われるようなこと、に心当たりはあるのではないだろうか。
学校や社会では集団行動ができる、輪を乱さない人材が求められる。
ゆえにそこからはみ出しかねない個性を持った多くの人は、みんなそれぞれが二木先生のように擬態していくことになる。
社会が変わるのはもっともっと先だろう。
もしかしたらずっと変わらないかもしれない。
けれど、私達はこの社会で生きていかなくてはならなくて、できれば楽しく生きていきたい。
『二木先生』はそのための処世術である。
- ([な]17−1)二木先生|ポプラ文庫 日本文学|小説・文芸|本を探す|ポプラ社(2025年11月) ↩︎



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