本屋大賞ノミネート全部読む。
三冊目です!
読む順番ってとても難しいので、今は読みたいものを気の向くままに選んでいます。
『エピクロスの処方箋』は帯に書かれた引用文を見て三冊目に選びました。
「君はここまで来るために、何人の患者を死なせてきた?」
誰がこの文章にしようと決めたんでしょうかね(誉め言葉)
この本のことは、医者の話であることと、『スピノザの診察室』の続編?であることしか事前に知らなかったので
この強烈な引用文を見て、きっと心温まる人間関係や医者の日常が、描かれているだけじゃない、一筋縄ではいかない雰囲気をこの本がまとっている気がして、それで手に取りました。
私は帯に書かれた引用文でなんとなくその本のテンションが分かるというか、信用してるというか。
その本を一言で表しているような文章をうまく引用してある帯だとついつい手に取ってしまう。
本当は伊坂幸太郎など大御所の本を先に読むつもりだったのに、、、と思いながら『エピクロスの処方箋』を先に読み、
とても「哲学」で金言も多い素敵な本で、私はまた帯の引用文に対する信頼を深めました。
ちなみに『スピノザの診察室』は未読でも何の問題もなく楽しめます。私は今も未読のままです。読んでみたいとは思っているんですけどね・・・

- 「暁星」湊かなえ/双葉社
- 「ありか」瀬尾まいこ/水鈴社
- 「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ/日経BP 日本経済新聞出版
- 「失われた貌」櫻田智也/新潮社
- 「エピクロスの処方箋」夏川草介/水鈴社
- 「殺し屋の営業術」野宮有/講談社
- 「さよならジャバウォック」伊坂幸太郎/双葉社
- 「熟柿」佐藤正午/KADOKAWA
- 「探偵小石は恋しない」森バジル/小学館
- 「PRIZE―プライズ―」村山由佳/文藝春秋
著者とあらすじ
▼著者 1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒業。長野県にて地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同書は2010年本屋大賞第2位となり、映画化された。他の著書に、世界40カ国以上で翻訳された『本を守ろうとする猫の話』、『始まりの木』、コロナ禍の最前線に立つ現役医師である著者が自らの経験をもとに綴り大きな話題となったドキュメント小説『臨床の砦』、2024年本屋大賞第4位、京都本大賞を受賞した『スピノザの診察室』など。
▼あらすじ 大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望されながらも、母を亡くし一人になった甥のために地域病院で働く内科医の雄町哲郎。ある日、哲郎の力量に惚れ込む大学准教授の花垣から、難しい症例が持ち込まれた。患者は82歳の老人。それは、かつて哲郎が激怒させた大学病院の絶対権力者・飛良泉寅彦教授の父親だった──。1
医者という働き方
「僕は別に教授が好きってことはないですけど、この件については教授派ですよ。夜に電話のつながらない医師を育てたって、何の役に立つんですか」
夏川草介『エピクロスの処方箋』水鈴社2025年202頁
主人公の雄町哲郎(マチ先生)は京都の地域病院で働く医師であり、医師とは特殊な仕事である。
医者が特別な仕事だなんて、そんなことみんなが知っている。
だとしても、時間外も電話に出るのが当たり前だ、と。ここまで世間の常識とかけはなれていると驚いてしまう。
作者の夏川草介さんは現役医師とのことなので、これが現代の医療現場のリアルなのであろうが、
私は、営業職に就いていた時の時間外の電話対応が嫌でその仕事をやめた2経験があったから、細かいところなんだけどちょっとびっくりしてしまった。
休みの日も電話対応をするのは、だんだん慣れてくるとはいえしんどいのよ。
だけど医師は、時間外に対応しないこと、それがそのまま患者の命に直結してしまう。
もちろん私の仕事だって夜にかかってくるような電話は、緊急の案件や、他社から流れてきた今受けないと他に流れてしまうような案件だったりしたけど、
さすがに命に関わる電話がかかってきたことはない。(そう思って出たこともあったけど、だいたいは次の日の朝でもいいでしょ、と思うような内容だった。)
医師という仕事はそれだけ特別なものである。
だから、時間外に呼び出しがあったら電話にも出るし、現場に向かわなければならないこともある。
患者の対応で業務が長引けは残業はするし、夜勤があったり、有給も気軽に取れるのか分からない。マチ先生みたいに仕事を辞めることも簡単ではないのかもしれない。
いわゆる現代における働き方改革に準ずるような働き方をする医師など役に立たない、というのが本書に登場する教授の主張であり、おおむね主人公もそれに納得している。
もちろん、何かあった時にいつでも高度な医療が受けられるのはとても素晴らしいことだし価値があることだ。何よりとてもありがたいことである。
しかし、その裏で医師たちの壮絶な働き方があるのだとすれば、私たちは少し立ち止まって考えてみなければならない。
そんな自分とは異なる場所で働く人々を知る(医師という職業、彼らの持つ考えについて、内視鏡の手術について、在宅医療についてなど)意味でも興味深い小説であるが、
この本の素晴らしさはやはり主人公マチ先生の「哲学」にあるだろう。
理想の医者
「だけど誤解してはいけないよ、龍之介。無力であることは不幸を意味しない。それを教えてくれたのも、お前の母さんだ」(中略) 「スピノザは人間の無力は描いても絶望は描かなかった。どうにもならない世界で、それでも人間にできることは何かと考え続けたんだ。こいつはなかなか魅力的な思想じゃないか」
夏川草介『エピクロスの処方箋』水鈴社2025年353頁
マチ先生は医師であるが、人を救うのは医療ではないと説く。
医師として難しい手術もこなし、実際に人を救いながらも、マチ先生は医療にすべての信頼を置いているわけではない。
彼は考える。生きること、死ぬことについて考え抜くことでこの仕事を続けている。
冒頭の「君はここまで来るために、何人の患者を死なせてきた?」という言葉から分かるように、医者は人を救うと同時に、患者を救えない、という経験を積み重ねることになる。
それは現代医術の限界であり、自分一人ではどうしようもない、この世界に対する無力さを感じさせる。
そんな世界の中でマチ先生は生きており、それゆえに患者を救うもう一つの方法を模索している。
自分にできることを探しながら医者として全力を尽くすかたわらで、患者の心を救おうと努力する。
自分が病に侵された時はマチ先生のような医者に診てもらいたい、という感想をよく目にするが、それは彼は常に人をよく見ており、人のためを思う行動をする医者であるからだと感じる。
病が治ればどんな医者でもいいかというとそういうわけでもないのが人間の不思議なところである3。
もちろん病が治ることが第一であるのだが、時に「気持ち」がそれを上回ることがある。
主観的世界に生きる私たちに必要なのは、患者のことを心から理解し寄り添ってくれる医者であり、マチ先生のように生について死について考え、緊急時にはいつでも駆けつけるそんな医者のことである。
この本を読んでいて安心するのは、雄町哲郎がそんな理想の医者から外れない存在であり、彼を取り巻く人物も素敵で優しい人が多いからかもしれない。4
雄町哲郎が一緒に暮らしている甥の龍之介が母親を亡くしながらも、あんなに真面目で素直な性格に育っているのもマチ先生の人柄がいいその証拠だろう。普通、中学一年生であればこうはならない!(と、思う)
甥の龍之介との話は前作『スピノザの診察室』で詳しく描かれているのではと思われるので、読んでみたいとも思う。
日常の中の哲学
黒縁の丸眼鏡の向こうで、小さな目がいたずらっぽく輝いた。 「勝ち負けなんて、短い人生に何の意味がありますか」
夏川草介『エピクロスの処方箋』水鈴社2025年87頁
さらりとこういう素敵な文章に出会えるからさらにこの小説が好きになる。
基本的にドラマでも映画でも小説でも、私は医療ものはあまり好んで選ぶことがない。
それはある程度パターンがすでに見えてしまっているからである。
「難病の患者がいて、それをスーパードクターが天才的な技術を用いて手術を成功に導く」であったり、「患者に寄り添うのが得意な医者が、医療だけを用いるのでなく患者の心を救う」であったり、「患者が助かっても助からなくてもどうしたって感動的なラストになり泣かされる」こととか。
『エピクロスの処方箋』にももちろん患者とのシーンがあり、やはり涙なくして読むことができない点はこれまでの作品と共通しているが、私はこの作品の核となるマチ先生の「哲学」がとても面白く感じた。
緩やかな文章と日常の中に哲学が存在する。
いつも通りの日々を様々なものに思いを馳せ、大切に、一つ一つを考えながら生きるというのは、とても素敵な生き方であると感じた。
そんなマチ先生だから築けた人間関係だし、周りの人が感化されていくのもよく分かる。
だぶん、本屋大賞にノミネートしていなかったら読まなかった小説だから余計に心に響いた。
- 著者・あらすじ共に『エピクロスの処方箋』特設サイトより。サイトには相関図も載っており、主人公の雄町哲郎に南先生からの矢印が伸びている。師弟関係(+淡い恋心)となっており、ほ~ぉとなったが(これはたぶん小説の余韻)、モテる女から好かれる主人公という構図も大好物である!王道だね。
↩︎ - 営業をやめたのはそれだけが理由ではないけど☆
↩︎ - 湊かなえの『暁星』では子供の病を治すためにどんなことでもする、といったような母親の姿が描かれるが、こういった場合はまた別かもしれない。この母親は息子の病が治るのであれば、たとえ闇医者であっても大金を払うことになっても頼りたいと思うであろう。
↩︎ - 雄町哲郎と対極にいるような医者を一人紹介しよう。佐藤究『テスカトリポカ』には末永という心臓血管外科医が登場する。雄町哲郎とは、天才的な技術の持ち主という点、または実際にその技術で人を救ってきたという点で共通するがそれ以外は同じ医者であっても特に思想が全く異なる。医者とは不思議な職業である。これだけ人々の生殺与奪の権を握っている仕事は他にないだろう。「当の本人は〈命を救う〉ことや〈患者からの感謝の言葉〉などには、何の魅力も感じていなかった。末永が求めたのは力だった。権力や暴力とは異なる種類の力を望んでいた。(佐藤究『テスカトリポカ』角川文庫2024年231頁)」佐藤究さんの小説は大好きなので良かったらこちらの記事もどうぞ→佐藤究おすすめ小説3選『テスカトリポカ』『Ank: a mirroring ape』『幽玄F』 ↩︎



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