本日は芦沢央さんの『おまえレベルの話はしてない』をご紹介します。
かねてより本屋さんでみかけて強烈なタイトルと装丁で、しかも芦沢央さんということで、いつか読もうと思っていた本です。
さらに前日みた動画で小川哲さんが、この本を購入しており、この見た目で将棋の本だと言っていて急に興味をもち、次の日さっそく本屋に走りました。
芦沢央さんの小説は『汚れた手をそこでふかない』を読んだことがあり、人の醜い心の内を描写するのがうまいと感じていました。
今回も期待を裏切らない強烈な小説となっています。
そこまで長い小説ではないので、すぐ読んでみてほしいです。
著者とあらすじ
▼著者 1984年東京都生まれ。2012年『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。同作は15年に映画化。18年『火のないところに煙は』で静岡書店大賞、22年『神の悪手』で将棋ペンクラブ大賞優秀賞、23年『夜の道標』で日本推理作家協会賞を受賞。吉川英治文学新人賞、山本周五郎賞、本屋大賞、直木三十五賞など数々の文学賞にもノミネートが続いている
▼あらすじ 小学生の頃から、棋士という夢を追って切磋琢磨してきた芝と大島。芝は夢を叶えたものの成績が低迷、一方の大島は夢を諦め弁護士になった。道が分かれたからこそ、今も消えない互いへの嫉妬、羨望、侮蔑。2人の行方にあるのは、光か闇か?
やめられない男「芝」
まちがえたくない、とおまえは思う。ぜったいにまちがえたくない。まちがえれば過去の自分が否定される。あのみじめさがあったからこそ、いまの自分がある。架空の未来を使っていまに意味をもたせる前借りのロジック。けれど借りはいつか返さなければならない。つじつまを合わせなければならない。
芦沢央『おまえレベルの話はしてない』河出書房新社2025年114頁
私は将棋に関してはほとんど知識がない。
自分のじいちゃんが昔よくやっているのを見たことと、NHKのねほりんぱほりんで奨励会を退会した人みたいな回がやっていたのを見たくらいでほとんど分からない。
だから、将棋のシーンは全く分からなかった。(でも全然読める)
けれど、この小説の主題である「やめること」への葛藤、迷い、嫉妬などの感情は将棋がよく分からない私にも、嫌でも分かってしまうものであった。
まず、本書で主人公として登場する「芝」は、棋士という夢を追ってそれを叶えたものの成績が低迷しており、自分に棋士としての未来がないことを悟りながらもやめられずに苦しんでいる。
彼の心の中をうつしたような文章はとても読みにくい。
自分の集中力がなくなったのかと思うほど読みにくくて、途中誰が主語として語られているのか分からなくなるし、余計な思考や情報が多くて、今どこにいるのかも夢なのかも定かでない。そんな文章が続く。
けれどそれこそが彼の人生なのであり、右にも左にもいくことができない。前にも後ろにも進めない「停滞」をこれでもかと書ききっている。
読んでいる側は意味が分からないなりに、恐ろしさを感じる。彼はどうなりたいのか、何がしたいのか、その苦しい嫉妬や羨望、侮蔑の感情だけ持ってどこへ行くのだろう、と思う。
そんな不安の中読み進める。
過去の自分を肯定するために、「停滞」を選ぶ人生で、はたして過去の自分は肯定されるのだろうか。
まちがえないことが人生の目的と化してしまうと、この「停滞」から抜け出せなくなってしまうようだ。
逃げた男「大島」
なぜなら自分は、そこまでしてあきらめざるを得ない状況を作らなくても、あきらめることができたからだ。
芦沢央『おまえレベルの話はしてない』河出書房新社2025年181頁
一方の大島は、芝と違い、プロになる前に奨励会を退会し、東大に合格し弁護士になった。
彼が主人公になると文体も一変し非常に読みやすい。状況や場面がよく理解できるし、想像もしやすい。
まともな精神をしており、生活をしている大島は私達からしてもずっと身近なのかもしれない。
彼は自分がこの先奨励会にいてもプロになることはないし、才能も胆力も周りと比べて劣っていると感じたのち、「やめる」という決断をしている。
この「やめる」ことがいかに難しいか。
そう理解したうえで、大島は自分のことを「やめる」ことのできた人間であると分析している。
例えば、多くの人が共感できるのは仕事ではないだろうか。
社会人として働き始めると、つらいことしんどいこと、やめたくなることは死ぬほどある。でも簡単にはやめられない。
就活もそれなりに大変で、お金も稼がなくちゃいけなくて、親とか友人とかに対する見栄とか、
様々なものがしがらみになって「やめる」という決断ができなくなる。
限界まで働いてしまう。
確かに、今まで積み上げてきた知識、経験、人脈そのすべてを捨てるという選択が簡単にできるわけがない。
しかし問題なのは、圧倒的に向いてない仕事やブラックな環境であっても同じように「やめる」ことができないことである。
本書にも、やめないといけない状況にまで自分を追い込もうとするキャラクターが登場する。そこまで自分を追い詰めないとやめられない。頭でわかっていても心が感情がついていかない。
小説で読むと、そこまでしなくてもいいじゃん、やめたらいいじゃんと思う。
けど現実はそううまくもいかないことは私もよくわかっているつもりです。
自分の人生を自分で決めよう
芝と大島、お互いに「やめる」ということに対するコンプレックスをかかえたまま生きている。
将棋に全力で打ち込んで夢を叶えられず、その先の人生がわかれる。
でも、どっちの道を選んでも間違っていないはずである。
問題は自分の意思できめること。
本書で大島の方が気持ちに余裕があるのは、奨励会をやめたからではなくて、「やめる」ことを自分の意思で決めたからだと思う。
反対に芝は、自分で決めたというより、やめられずに惰性で続けている感が否めない。
いずれの選択肢をとるにせよ、自分で決めるということは、後悔のない人生を歩むためには欠かせない。
世の中選ぶことだらけ
だからせめて後悔のない人生を選びたいと思っている。
ぜひみなさんも読んでみてください。




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